リクルートスーツがくだらないかどうかの議論がかみ合わない理由
Blog雑記

どう考えても、数千人というほぼ同い年の若者が、リクルートスーツで一か所に集まっているという状況は気持ち悪いだろう。

何を気持ち悪いと思っちゃうんだろう。タンザニアのヌーのごときビジュアルの部分ももちろんだが、それ以上に「誰にも正式に着なさいと言われたわけでもないのに、結果として同じスーツを着てしまっている」という状況が気持ち悪いんだと思う。

どの会社も、別に「リクルートスーツを着て来てください」と言っている訳じゃない。
しかし、学生はなんとなくスーツの方がいいんじゃなかろうかと思ってスーツを着る。
どうやら、無地の黒か紺がいいらしい、ネクタイは○色がいいらしい、金融系だと○○がウケるらしい・・・
という、非常に不確定な情報を、当たり前のように信じて集団行動に迎合する。その集団心理に付け込んだビジネスも色々ある。

日本人に 「みんなもう飛び込みましたよ」 と言えば海に飛びこむ、という話の〝よくない部分”が表層化された最たる現象だと思う。

その全体感が気持ち悪い訳で、何もスーツを着ている個人やスーツという商品が気持ち悪い訳ではない。
そこがこの議論がかみ合わない理由なんじゃないか。

画一的なリクルートスーツをくだらなく思っているのは誰か

上記のような記事を読んで、「そうだそうだ!スーツであるべきだ!」と、自ら意思決定して着るんなら何も気持ち悪さを感じない。

でも多くがそうではないのだ。

多くは、ただ自ら思考することなく「なんとなくみんなに合わせればいい」という理由で、スーツを着ている。

茂木さんや堀江さんなど、自ら意思決定して人生を切り拓いていた人たちは、そうした気持ち悪さを感じるのは当然だと思う。


でも学生側を向いて、「みんなスーツ脱ごうぜ!」と言っても何も変わらない。それはスーツはキモいと唱える大人のエゴに過ぎない。

企業側に「学生にスーツを着せるのやめなさい」と言っても、企業単体からすれば別にどうでもいいことなので、推奨することもないだろう。

就職活動には、学生、企業だけでなく、親、大学、経団連、就職業者などのステークホルダーが多く、当事者の学生と採用担当だけが何かをすれば文化を変えられるというものでもない。

だから、相変わらずこうしたおかしな文化や風潮が残っているんだと思う。じゃあ、誰がどう変えるのか。

その辺りを考える日々を過ごしてます・・・

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